なにわに生きる 次代につなぐ

 2019年が明けた。平成と新元号をつなぐ節目の年となる。新しい時代をつなぎ、結ぶ年ともいえそうだ。時代が変わろうとする中、次の時代を担う人たちに、何を引き継いでいくのか考える時間でもある。関西地域の中核都市として大阪の発展は欠かせないが、主役はあくまでも大阪に暮らす人たち。本紙では年間企画として「なにわに生きる−次代につなぐ」と題し、今を生きている私たちが次代につなぐものは何かを取り上げる。

第3部「防災」(中)

2019年9月2日
「自分と同じような経験は誰にもしてほしくない」と願う横山さん=茨木市のいばらき自立支援センターどかどか

 2011年の東日本大震災で、被災地全体の死者数のうち、障害者の死亡率は被災住民全体の死亡率の約2倍になった。13年の災害対策基本法改正で、内閣府は自治体へ実効性のある避難支援をするよう取り組み指針を示しているが、被災した障害者を取り巻く環境には課題が残る。「障害者を排除しない社会」の実現を願い、支援を続ける人たちもいる。

■制度の限界

 茨木市の横山利恵さん(47)は、知的障害と重度のてんかん症状があり、24時間のヘルパーの介護を受けて生活している。昨年6月の大阪府北部地震。自宅の賃貸マンションが被災して住めなくなり、転居を余儀なくされた。

 朝食を食べようとしていた時に、激しい揺れに襲われた。食器棚から飛び出した食器は床に散らばり、たんすも倒れた。間もなく、大家の家族から建物が危険なので避難してほしいと声を掛けられ、ヘルパーと一緒に近くの小学校の体育館に避難した。

 避難所で1週間ほど生活したが、暑さやストレスから発作も起きた。「夜寝られたと思うと、余震で何度も目が覚めた」。横山さんは自らが通う作業所を運営する社会福祉法人「ぽぽんがぽん」(茨木市)のグループホームに身を寄せた。

 自宅の賃貸マンションは、応急危険度判定で「要注意」の黄色い紙が貼られ、大家は取り壊す方針を示したため新たな物件を探すことに。物件探しは難航。横山さんが受ける生活保護の家賃扶助に見合う建物が、なかなか見つからなかったからだ。同法人のヘルパー・西谷美恵さん(52)は「行政の制度の限界を感じた。引っ越しせざるを得ない状況になった中で、これまでの生活を守ってもらえない制度だと痛感した」と声を落とす。

 ようやく同年12月までに物件が見つかり、横山さんは現在、作業所に通って紙すきの作業に取り組む。「初めて大きな地震を経験して、どうしていいか分からなかった。ほかの障害のある人に、自分のような経験はしてほしくない」と願う。

■つながりが鍵

 阪神淡路大震災が発生した1995年、被災した障害者の支援に取り組む認定NPO法人ゆめ風基金(大阪市東淀川区)が発足した。東日本大震災や熊本地震など各地の被災地で、障害者支援団体をサポートした。事務局長の八幡隆司さん(61)は、障害者と地域との平時からのつながりが、災害時の避難にも生かされると強調する。

 昨年7月の西日本豪雨で、岡山県で知的障害のあった親子が避難所の小学校に行けず、自宅で亡くなったケースがあった。八幡さんは「障害者は知らない場所に行くことができず、逃げられないことがある」と、災害時の避難の難しさを感じる。

 八幡さんによると、大阪府北部地震では、災害対策基本法に基づく避難行動要支援者名簿がほとんど活用されなかったという。「災害時は混乱で活用が難しい面もある。日常的に訪問して自宅の状態を知るなど、事前の活用が必須。1人も取り残されないようにしないといけない」と力を込める。

 バリアフリー化が進む現代社会。「障害者が回りにいることが『風景』のようになり、障害のある人とどう接していいか分からない人は多い」と危機感を抱く。「要支援者名簿が無くても、『あの家は避難に助けが必要な人がいる』と思い出してもらえることが大切になる」と、悲惨な被災者が生まれないことを祈る。

 避難行動要支援者名簿 災害対策基本法の改正により、市町村は障害者や高齢者ら、災害時に自力で避難することが困難な「避難行動要支援者」の名簿作成や、避難を支援する関係者へ提供するなどの規定が設けられた。消防庁の調べで2018年6月1日現在、大阪府は43市町村全てが作成済みとなっている。


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