戦跡を巡る 戦渦を超えて75年

 今年は戦後75年の節目。戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて75年(8)

2020年5月21日

JR三ノ宮駅高架橋の弾痕 (神戸市中央区)

 JRと阪急をつなぐ連絡橋から見える無数の穴。太平洋戦争中の戦闘機による機銃掃射の痕といわれる。山側から海側に向かってめくれあがっているのが分かる。


海軍操練所跡 (神戸市中央区)

 幕末、勝海舟の発案によって幕府が設置した海軍の訓練所。京橋筋南詰にはいかりを模した記念碑があり、ここから東側の現在の神戸税関付近、「長方形の入堀約1万坪の一帯」が敷地だったという。1865年閉鎖。



海岸ビル(旧三井物産神戸支店)の弾痕(神戸市中央区)

 神戸市は1945年3月17日や6月5日などに米軍の大規模な空襲に遭った。旧居留地に建つビルには今もその傷跡が残る。18(大正7)年完成の海岸ビルもその一つ。1階部分の壁には戦闘機の機銃掃射による無数の弾痕がある。


生田神社の楠の神木 (神戸市中央区)

 1945年6月5日に神戸を襲った大規模空襲で、生田神社は炎に包まれた。境内にある「楠の神木」は焼けただれたが復活を遂げ、今は再生や復興の象徴として信仰されている。約500年の年輪が見て取れる。



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