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今語り継ぐ戦争 59回目の夏




戦争遺跡の戦後

2004/08/16

大阪市東淀川区淡路5丁目
に現存する旧陸軍の高射砲
台。市による調査研究など
新たな動きが注目されている

"物証"を保存、次世代へ
開発の陰で取り壊しの危機

 戦後六十年近い今日でも、実際に触れることのできる“戦争の物証”はごく身近に存在する。旧軍関連施設や戦災建物などの「戦争遺跡」だ。近年、市民の間でこれらを保存・活用し悲惨な戦争を次世代へ伝えようとする動きが広まっている。文化庁は〇二年、将来的な国指定史跡に向け全国の代表的な戦争遺跡五十カ所を詳細調査対象に選んだ。明治期以降、市中心部に東洋一の兵器工場を置き“軍都”として発展した大阪市も例外ではなく、大阪城天守閣前に残る旧陸軍第四師団司令部(大阪市中央区)など数カ所が選定されている。しかし一方では保存の声もむなしく、都市開発の陰で姿を消す貴重な戦争遺跡も多い。

■道路計画と砲台

 大阪市東淀川区淡路五丁目に今もひっそりと残る旧陸軍高射砲台が取り壊しの危機にある。高さ約五メートルの鉄筋コンクリート製砲台六基と弾薬庫からなる高射砲陣地が完成したのは太平洋戦争中の一九四四(昭和十九)年のこと。陸軍の代表的な火砲「八八式七糎(センチ)野戦高射砲」六門を備え、柴島浄水場や淀川区十三の工場地帯など市北部の防空任務にあたったとされる。戦後二基はマンション建設のために撤去されたが、残る四基は七世帯が住居などに利用。保存運動はここに開通予定の都市計画道路「十三吹田線」(総延長四千五百三十メートル、計画幅員二十五メートル)着工を前に、土地を所有する市が〇二年秋から住民への立ち退き交渉を開始したことに端を発する。道路は戦後復興の一環として五〇(昭和二十五)年に計画。すでに完成した一部分が砲台の目前まで迫っており、市は撤去に該当する砲台一基と半分、弾薬庫跡に住む住民に移転を促している。これに対し「貴重な戦争遺跡を守ろう−」と市民が動き出した。市民団体「戦争遺構研究会」(堺市・柴田正己代表)は〇三年三月に文化財登録を求める嘆願書を市と文化庁に提出。また地元の「淡路地域教育協議会」(岡本浩一会長)は、同七月の総会で「生きた平和教育の材料に−」と活動方針のひとつに砲台の保存を採択、阪急淡路駅前での街頭署名を展開した。今年一月に開かれた地元と市の初協議では道路開通と砲台保存の両立について双方の意見が交わされ集った署名が市に手渡された。

■保存への期待

 保存要望の声を受けた市側は、先月末、大阪空襲や旧軍施設を専門とする識者数人を募り「西淡路高射砲陣地調査研究会」(仮称)立ち上げのための準備会を開いた。今後はより多くの識者の協力を得ながら今年度中をめどに結果を出す方針だ。柴田代表(59)は全国で文化財指定を受けた例を挙げ「戦争遺跡への対応が遅れていた大阪で砲台の保存が実現すれば大きな突破口になる」と期待を寄せる。撤去予定の砲台に七二年から住む福西義治さん(82)は海軍の水兵として真珠湾奇襲、ミッドウェー海戦に参加。「南方では陸戦隊としてガダルカナル島の激戦で負傷し、奇跡的に戻った内地では原爆投下後の広島で救護活動にもあたった」と、言う福西さんだけに悲惨な戦争を風化させたくないという気持ちは誰よりも強い。「移転する覚悟はあるが砲台だけは残してほしい」(福西さん)と願う。

 今年四月に着工(〇七年度開通)予定だった工事も調査期間中は一時中断。近・現代において戦争遺跡が意義あるものか否か。戦後六〇周年となる来年にまとめられる調査結果が注目される。


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