金井啓子のなにわ現代考

五輪と同性愛

2014年1月31日

ソチから東京へ変わるか

 まもなくソチ五輪が開幕する。素晴らしい演技や記録を楽しみにしている。だが、競技以上に気になるのが、同性愛をめぐる一連の騒動である。

 ロシアのプーチン大統領は今月、ソチ五輪ではアスリートが同性愛で差別されることはないと話した。同国が昨年導入した同性愛宣伝禁止法が各方面から批判されたことを気にした発言だろう。ところが、今度はソチのパホモフ市長が「ソチには同性愛者はいない」と語り、またもや物議を醸している。

 筆者は、同性愛者を差別する気持ちには到底なれないし、差別的な発言をする人を心底軽蔑している。筆者の友人には同性愛者が何人かおり、少数派の彼らとも同じ人間同士、良好な人間関係を結べていることが大きい。

 多数派の人々がたまたま異性を恋愛の対象とするのと同じように、少数派の彼らが恋する対象はたまたま同性である、たったそれだけの違いなのだ。恋愛感情はごく自然に湧いてくるものであって、異性愛者の男性は「よし、自分は女性を好きになろう」と言い聞かせて恋するのではない。ごく自然に好きになる。それと全く同じことが同性愛者の心の中に起きているだけなのだ。

 「日本人は同性愛には寛容だ」と思っている人もいるだろう。テレビ番組にいわゆるオネエキャラの活躍する場があることも、そう思う理由かも知れない。

 だが、ある男性が同性愛者だと耳にすると、「オレ、襲われるかも。怖いなあ」とつぶやく日本人男性がいかに多いことか。そのたびに「なぜあなたが恋愛対象にならなきゃいけないんですか。自分はそんなに魅力的だと思いますか」と尋ねたい気持ちを抑えるのに苦労する。「男の同性愛者は気持ち悪いが、女の同性愛者は見てみたい」という、それこそ気持ちの悪い発言もよく聞く。

 さて、ソチ五輪の同性愛騒ぎを、日本人は対岸の火事と傍観するわけにはいかない。6年後の東京五輪では、ソチとは違って、誰もが心穏やかに競技や観戦に集中できることを望みたい。

 (近畿大学総合社会学部准教授)


最新記事