浅野秀弥の未来創案

【五代友厚が残したもの】

2017年3月16日

大阪を愛し、大阪を変えた人

 大阪商工会議所前、大阪証券取引所など市内だけで4カ所銅像がある明治維新から中期にかけて、近代化を目指した大阪の経済界の重鎮、五代友厚(ごだいともあつ)(1885年に49歳で死去)は、どんな人だったのだろう。

 近年では、昨春までNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」で五代役を演じたディーン・フジオカさんの人気急騰と相まって、これらの場所を訪れる観光客や若い女性も増え、大阪人にとって「何となく名前は昔から知っているけど、実像はよく分からない」という不思議なイメージの五代の足跡を見直す機運が高まっている。関西の制作者を中心に彼を主人公にした映画化の話も進んでいるようで喜ばしい。

 江戸末期に薩摩藩奉行の次男として生まれ、藩士だった18歳の時にペリーの浦賀沖来訪が起こる。急速な開港論の中で長崎に派遣され航海術を学び、藩命で欧州に派遣され貿易や経理を学び、帰国して藩の会計係となる。維新時の討幕運動での活躍から明治政府参与となり、32歳の時に大阪府権判事として大阪に来た。以後は造幣局創設や初代大阪税関長も務めた。わずか1年で退官するが、薩長中心の明治政府とのパイプは太く、その後も大阪にとどまって現在の大阪取引所や商工会議所、市立大をはじめ、当時の産業界のけん引車となる陸海運、貿易、製鉄などの事業会社設立に尽力した。

 彼には「日本の近代化と発展のため東京一極集中ではなく、大阪を中心とした関西が車の両輪にならなくてはいけない」という強い信念があり、企業組織化、金融の安定と信用回復に力を尽くしたリーダーであった。

 私は実体経済のリスクを負った経験のない政治家や経済評論家、経済学者、経済マスコミなどより、大阪の中小企業や零細企業の物作りの心意気や技術力などを理解でき、大阪を愛して大きな視野でグランドデザインを考えられる真の経済人こそが、大阪を中心とした関西の復権と人材育成にふさわしいと思っている。

 夢を語るのは簡単だが、ブレずに実行する力は難しい。大阪の人々は、五代がもし今日生きていれば、「これが理想の大阪なのか?」と問われることを覚悟してほしい。

 あさの・ひでや(フリーマーケット=FM=社社長、関西学生発イノベーション創出協議会=KSIA=理事長)1954年大阪市生まれ。わが国のFM創始者で日本FM協会理事長。関西経済同友会幹事。数々の博覧会等イベントプロデュースを手掛ける。