澪標 ―みおつくし―

「美術」が仕事その2

中津海智子
ギャラリーなかつみ/乙(いつ)企画代表 
2012年7月24日

 画商の仕事、今日は販売についてお話し致します。売り方はどのお商売とも変わらず、店売りやお客さまをお訪ねしての訪問販売、あるいは百貨店などのテナントとして出店販売等々。一般の方が参加されるオークションへの出品やネットオークションの開催など、時代の変化がうかがわれますが、お客さまは今と昔ではずいぶん変わりました。

 昔々、お軸や屏風(びょうぶ)、襖(ふすま)絵など日本画しかなかった古い時代はお寺やお大名などで、もちろん専門の画商はおりません。庶民に人気の浮世絵も版元が扱い、幕末から大正時代には「○○堂」の名称で油絵を含め、茶道具など美術品を取り扱う商売人が現れ、西洋化する社会を背景に有力政治家や財閥などがお客さまでした。

 画商の嚆矢(こうし)は昭和に入ってからですが、戦後進駐軍の存在が契機になり、現在に繋(つな)がる画商が続々誕生しました。屋敷を構えたアメリカ人たちが部屋を飾る絵画を求めたこと、また一時期は美術行政にも熱心で軍政部内に美術課を置くなど「美術の民主化」を推進した経緯の故でしょう。

 時代が過ぎ、高度成長期には大手建設会社(いわゆるゼネコンです)や銀行、税理士さんなど法人関係が新築ビルに飾る絵を贈る、大口顧客へのご挨拶(あいさつ)、新会社設立や事務所開きのお祝いに使い、オイルショックで一転需要が減りながらも息長う続きました。

 一方でバブル期にかけて全国各地に美術館・博物館が競うように建設され、私企業も文化施設を持つなど一躍美術ブームが到来、大口の売り先になりました。海外オークションで有名な美術品を日本人が高額で落札するなど、国内外でも大きく報道されたことも。

 1969〜71(昭和44〜46)年頃の、価格が暴騰した美術ブームの折には投機転売目的で、87〜90(昭和62〜平成2)年頃のバブル景気には株で儲(もう)けたにわか成り金の個人のお客さまがこぞって買うていきはりました。美術ブームでは作家の名前もご存じなく、「明日には値段の上がってる作品を」とのむちゃな要求もあれば、バブルの時は熱病のように海外の有名作家や美術館クラスの作品が人気でしたが、いずれも時代の徒花(あだばな)、本心からの美術愛好ではありませんでした。

 バブルが弾け、東京一極集中が高じると、大阪の会社は支店に成り下がり、わずかな額の備品費しか認められへんようになって企業の絵画需要は激減。もちろん個人のお客さまもいっぺんに無(の)うなりました。どん底からようよう立ち直りかけた矢先に「阪神淡路大震災」の大打撃、その後の関西美術業界の低迷ぶりはどなたもご存じの通り。

 青息吐息の低空飛行が続く中、かろうじて東京で持ってた美術市場が昨年3・11「東日本大震災」で一気に低迷、大阪では革新的な市長さんが「美術や文化はいらん」と福祉同様ばっさり切って捨てるおつもり。現在は法人も個人もお客さまはほんまに少のうなりました。とりあえずざっくりとお話し致しました処(ところ)で、もう少し詳しくはまた次回。

 (なかつみ・ともこ 兵庫県西宮市)