澪標 ―みおつくし―

傾げられる首

石橋英樹
数理言語教室「ば」主宰
2014年7月19日

 もう30年近く、多くのお母さん、お父さん(頻度的にはこの順番になります)たちと、子どものことについて話をしてきました。

 ほんの数分の立ち話もあれば、数時間に及ぶ面談になることもあります。毎夜の相談電話や深夜のメールも珍しくありません。

 さまざまな場面が思い浮かびます。

 学習面が中心になるのはもちろん、意外な姿や、愉快なエピソードの紹介などもするのですが、あちらも関西人。まるでネタのような、家庭での笑い話を聞かせてくれたりもします。

 それぞれの子とは、ずいぶん密に時間を共有しますので、共通の話題として語り合えるのは私としても、うれしく感じます。

 しかしそういう雰囲気になることばかりではありません。

 目の前で、ののしり合いが始まることもよくあります。ほとんどは、母と息子が多く、私はこれを「バカ息子とくそババア」の関係と名付けていますが、お互いのことを肯定形で評することは決してありません。

 ただ、その場で反抗できる子はまだましです。実際には、一方的な悪罵に無言で耐え続ける、またはずっとそっぽを向いているという子の姿が大半です。(こういう子は最後にぺこりと頭を下げて帰っていったりすることもあります)

 こういう親(もしくは親子関係)に象徴的な動作があります。

 私からその子の活躍や、あんないい面、こんな面白いことなど報告している間、何度も何度も親は小首を傾(かし)げるわけです。実に不満そうに。この(無意識に出る)動作はほんとうに印象的です。

 時にその子に現状で不足している力やこれからの課題を付け加えることもあります。すると、待ってました、とばかりに、目を輝かせて(!)、そうでしょう、こいつはあれもこれもだめでしょうと、そこから延々と欠点や不満点を挙げ続けるのです。

 こういう親子関係は、その子にとって相当にしんどいだろうと毎回思います。家庭の中で常に否定的な視線を浴び続けるわけです。気の休まる暇がありません。

 ただ同時に、視線を送り続ける親にとってもしんどいのは確実です。親の気も休まるわけがないのですから。

 子を産むときにそのような親子になりたいと願った人はいないはずです。

 しかも、この種のしんどさは、子にとって二重の意味をもちます。一つは、その子がいま、現にしんどいこと。二つめは、これが彼の家族の「原像」となるということです。彼自身が同様な親子関係を、今度は親として次世代の子とつくってしまうかもしれない。

 そもそもこのような経験をした子が、自分も家族をつくることに肯定的な大人になるのか、という問題も発生します。

 続きは次回に。

 (いしばし・ひでき 京都府木津川市)