澪標 ―みおつくし―

弟子の決断・師匠の覚悟

桂蝶六
落語家 
2014年10月27日

 当時、奥さまは35歳。小学1年生の男の子と幼稚園に通い出したばかりの女の子。そんな平穏な家庭にどこの骨とも分からぬ20歳の男がいきなり転がり込み、奇妙な共同生活が始まった。男はヘマばかりを繰り返す。それでも奥さまは嫌な顔ひとつ見せず、行儀や礼儀作法を一から教え始めた。

 「この世界はね、晩に会っても、おはようございます」「部屋のこっちが上手で、こっちが下手」。米のとぎ方、味噌(みそ)汁の出汁(だし)の取り方、掃除機のかけ方、鏡餅の供え方、着物の畳み方、アイロンの当て方、返事の仕方…この「男」とは、つまりぼくのことである。

 故・二代目桂春蝶のもとに入門し、内弟子として師匠宅に住み込むようになったのが今から31年前。師匠と一つ屋根の暮らしは緊張の連続だったが、傍(そば)にずっといられるという喜びでいっぱいだった。

 今なら分かる。本当に緊張を強いられていたのは師匠や奥さま、そして子どもたちではなかったか。まず家族団欒(だんらん)の場をぼくが奪った。ぼくが原因で夫婦喧嘩(げんか)が引き起こされることも度々。「ちょっと聞いてよ、今日、蝶六さんったら」と憤る奥さん。「まあまあ…」となだめにかかる師匠。逆に師匠の機嫌を損ねた時にはいつも奥さんがぼくを庇(かば)ってくれた。二人は示し合わせたかのように、ぼくに対しいつも両極の態度を取った。

 内弟子の年季が明けた後、ぼくは師匠に敷金を出してもらい近所に居を構えた。築30年の木造モルタルアパート。金もなく腹が減って仕方がないときは師匠宅へ出向いた。「あら、蝶六さん、どうしたの?」「あ、奥さん。今日はちょっとお礼奉公に」。庭掃除と窓ガラス拭きに掛かるのがいつもの決まりだった。

 そうこうするうちに師匠がリビングへ下りてくる。「蝶六、ちゃんと飯食ってるかぁ…」「ええ、まあ」。そうしてぼくは久しぶりのご馳走(ちそう)にありつく。「これタクシー代や。ええから、今日はタクシーで帰り」。もちろんぼくはタクシーなど使わず、来た道を歩いて帰った。師匠は全てお見通しだった。

 この世界で下から上にお金が上がることはなく、「下に下に」がならい。飯を食わせて、商売の種である咄(はなし)を授け、着物を持たせて、たまには小遣いを渡したり…師匠には何の得も見返りもない。「わしも師匠の春団治(三代目)にそうしてもうた。お前もいずれせなあかん」。

 最近、師匠の息子の三代目桂春蝶くんと会話する機会が増えた。「君が小さい頃、寝小便布団を干すのがぼくの日課やった」「蝶六兄さんも隠れて煙草(たばこ)吸ってましたよね」…あの頃、ぼくはずいぶん泣いた。でも、今となってはその全てが楽しい笑い話。師匠と出会わなかったら、ぼくはいったいどうなっていただろう。師匠の年齢を超えた今も、師匠や奥さんの覚悟には到底及ばない。

(大阪市城東区)