澪標 ―みおつくし―

上司の指南、部下の災難

桂蝶六 落語家
2014年12月8日

 「ああ、番頭どんか、さあさあ、こっちへ入りなはれ。後、ピシャッと閉めてな、お座布当てなはれ。いや、おまはんを呼びにやったのは他でもないねやが…」

 落語の中のワンシーン。商家の主人が人前で番頭を叱るのはよほどのときだ。人払いしたところから旦那の意見が始まる。師匠(故・二代目桂春蝶)もぼくを叱るとき、たいてい二人きりだった。

 これはある居酒屋での出来事。会社の上司らしき男性が部下とおぼしき二人に向かってずいぶんご立腹の様子。内容が筒抜けになるほど声も大きい。しかも同じ話が二巡三巡。そのうちその当の上司がトイレに立った。部下の一人がもう一人に向かってこう言った。「もうすぐ終わる。あとちょっとの辛抱や」。彼らにとって上司の指南はただの災難にしか過ぎない。ぼくはこのやりとりを横で聞きつつ、ふと師匠のことを思い出していた。

 うちの師匠の説教は極めて言葉数が少なかった。例えばぼくが何かシクジリをオカしたとき、師匠はぼくに向かってまずこう言う。「分かってるやろな?」。このとき、ぼくは自分のオカしたミスを振り返りつつ、「は、はい」と答えるのが精いっぱい。すると、師匠はそれにかぶせるように「何が(あかんかったんや)?」。「ええ、あのとき、ぼくは…」。それからぼくは自分のオカしたヨクナイ行為と今後の課題について自らつらつら述べる。それをひとしきり聞いたところで、師匠はたった一言。「次はないぞ」。そしてさっと向こうに去っていく。

 結局、師匠がぼくに発する言葉は「分かってるやろな?」「何が?」「それで?」「次はないぞ」のたった4フレーズのみ。あとの言葉は皆ぼく自身。全てにおいて「自ら考えさせ、自ら行動させる」というのが春蝶流だった。

 落語も授業もこれによく似ている。演者の言葉や所作をもとに想像という映像をお客自身が頭の中にこしらえる落語。教師の問い掛けに学生が思案したところで初めて解答が示される授業。落語も授業もありがたいお説教だって、受け手側の思案がなくては「ああ、なるほど」とはならない。

 一方、ぼくは師匠から面と向かって褒められたことなどなかった。師匠が褒めるとき、それはいつも間接的だった。

 「蝶六さん、今日、師匠がな、あんたの咄(はなし)を袖で聴いててな、あいつ良うなったなあって褒めてたよ」と師匠の奥さん。「師匠がな、蝶六はええ根性してるって言うてたで」と師匠のマネージャー。

 ぼくもまた、他の先輩方のことを師匠からよく伺った。当然、ぼくはそれをそのままそのご本人に伝える。「へええ、春蝶兄さんが? わしのことを? そんなふうに?…そうかあ、おい、蝶六、のんでるか? 何でも好きなものを頼みや。それで他には何ぞ言うてなかったか?」

 ぼくはこうしてずいぶんごちそうにありついた。間接的に褒められると人はよりうれしい。ぼくは良い主人に恵まれたとつくづくそう思う。

 (かつら・ちょうろく、大阪市城東区)