澪標 ―みおつくし―

教師のひと言・子どもの傷痕

桂蝶六
落語家
2015年1月23日

 子どものころのぼくは鈍くさいばかりでなくパニックを起こすこともしょっちゅうで、時には級友の腕にかみつくこともあった。夜尿症は6年生まで。赤面症、吃音(きつおん)、チックにも悩まされていた。野球ごっこの補欠にさえ入れてもらえず、いつも孤独で劣等感にさいなまされる日々。そんなぼくが主役になれたのは体育館のマットにくるまれる時ぐらいで、それはいじめに他ならなかったが、それでも相手にしてもらえたという喜びの方が勝っていた。「笑われる」ことで自分のポジションを確保していたのだろう。

 勉強の方もからきしダメで掛け算の九九なども何度口にしても覚えられず、来る日も来る日も一人教室に居残りさせられた。当時の担任の先生には辛抱強く付き合ってくれて本当に感謝している。しかし、一人の新任教師だけはずっと許せないままでいた。

 それはある一言がきっかけだった。授業の終了時、「起立」という号令が聞こえているにもかかわらず、ぼくだけが椅子に腰掛けたままでいた。体がすぐには反応しなかった。「森(ぼくの本名)君がまだ坐っています」という級友の言葉にその教師は顔をゆがめ、まるで吐き捨てるようにこう言った。

 「放っとき。あの子は普通の子と違うねんから」

 以来、頭から布団をかぶっては「普通の子になりたい」と毎夜のようにつぶやくようになった。それにしてもぼくはつくづく根にもつ人間だ。ずっとこの出来事を引きずりながら生きてきた。

 高校で落研に入ってからのぼくは、マンションの屋上に坐り込んで落語のせりふを何度も大声で繰り返すのが日課だった。近所では結構うわさになっていたらしい。「人の倍やってちょうど人並み」という言葉がぼくにとってのお題目だった。あるいは、「落語世界」というユートピアへの逃避行だったのかも知れない。

 落語世界の住人はみんなあったかい。悪人がいない。また、稽古によっておのずと行う「息を吐く」という行為も良かったのだろう。息を吐けば人は元気になれる。とにかくぼくは身も心もずいぶん楽になった。落語に救われた。後から思えば、そのころ抱き続けた劣等感は「俺はこんなもんじゃない」という思いの裏返しだったのかも知れない。

 まだまだ発展途上の身に過ぎないが、最近になって自分でも「変われた」という自覚を少しは持てるようになった。これまでつらかったあらゆることが自身のなかでプラスに転じようとしている。

 と同時に、あの新任教師の立場を考えられるようになった。先生も赴任したばかりで必死だったんだろうなあ。何か悩みを抱えていたのかも知れないなあ。あのころのぼくと新任だったあの先生は結構似たもの同士だったのかも知れない。今、ぼくはようやく心のカサブタをはがせそうだ。

 (かつら・ちょうろく、大阪市城東区)