澪標 ―みおつくし―

スリランカから日本へ、そして未来へ。私の人生。

池本ニルミニ
一般社団法人SaaMa−スリランカ・スパイス&ハーブ理事長
2018年2月2日
小学校での国際授業の様子
スリランカレストランニルミニ

 父親が警察官だったため、子供の頃から引っ越しが多く、転校を繰り返しました。小学校高学年の時、北部トリンコマリーから首都コロンボに住むことになりました。スポーツが得意で、走り高跳び、幅跳びでは地元の全18校中、常に1番でした。コロンボの大会では2位にもなりました。バレーボールでは全国大会にも参加しました。自宅近くのお寺の塾では、お坊さんに算数を教えてもらいました。干ばつがあった時、お寺の大切な菩提(ぼだい)樹のため、遠い所にある井戸から水を運んだことはよく覚えています。

 高校は、コロンボ中心の学校を卒業、イギリス系のIT企業に就職、会社でネットボールのキャプテンもしました。その後、警部補をしている時、約3千人の応募者から選ばれ、コンパニオンとして鶴見緑地の花博(1990年)で来日し、よい経験をたくさんしました。

 その中でも私の人生が180度変わったのは、夫との出会いでした。お互い辞書を使ったデートでした。空港での別れ、遠く離れた2人は電話でつながっていました。携帯電話もない時代、夫はたくさんの電話代金を支払いました。3カ月後、夫はスリランカの自宅に3週間滞在、スリランカのファミリーの一人になってくれました。私も日本で夫の家族に温かく迎えてもらい、日本のファミリーの一人になりました。

 結婚後、初めて夫の両親へあいさつに行った時のことを思い出します。歓迎のため、たくさんの料理が並んでいました。肉、ハム、ソーセージ、クジラの料理、ししゃもなど私が食べられない物ばかりでした。すし、刺し身、ワカメ、豆腐も初めて見る物でした。スリランカでは、生魚肉などを食べる習慣がありません。その様子を見て夫の母はとても心配し、中華屋さんからチャーハンを注文してくれ、おいしく食べる事ができました。ありがとう。スリランカでは料理も作れない私でしたが、今では赤飯、おでん、肉じゃが、お好み焼きなどいろいろな日本の料理も作れるようになりました。

 習慣の違い、上手ではない日本語、近くに親もいない。不安でした。スリランカでは「妊婦が希望する食べ物は夫が必ず用意する」。そのことを夫に伝えると、つわりのひどかった私に毎日大好きなフランスパンを買ってきてくれました。少しずつ違いを乗り越えてきました。

 来日して約2年後、自宅で英語教室を始め、多くの子供たちに教えました。そのことを知った小松小学校のワタグチ先生から5年生の授業に招待されました。学校の校門前でたくさんの子供たちがスリランカの旗を持って迎えてくれたこと、忘れられない出来事です。その後、同小学校で英語クラブを作っていただき、毎週子供たちに英語を教えていました。現在、小、中、高校を訪ねてスリランカについて教える国際授業を行うきっかけになりました。

 最愛の娘2人にも恵まれ、日本、スリランカのファミリー、多くの友人に囲まれ、幸せに暮らしています。この幸せを少しですが、スリランカの子供たちにも。この25年間、毎年スリランカの子供たちにたくさんの文房具、服、靴、バレーボールなどを贈ってきました。2004年、スリランカを大津波が襲い、4万人弱の人々が亡くなりました。小松幼稚園の大田園長先生をはじめ、友人、近所の方々、親戚に寄付いただき、スリランカ人に家をつくることができました。

 今後の夢。スリランカでは貧しいため、途中で建築を中断している家がたくさんあります。その完成の手助けを。これからも頑張っていきたいと思っています。

 私の名前ニルミニは「青い宝石」という意味です。両親がつけてくれました。「アーユボーワン」(スリランカのシンハラ語でのあいさつです)。

 (いけもと・ニルミニ、大阪市東淀川区)

 大阪府守口市京阪土居商店街で始めた「スリランカレストランニルミニ」。京阪土居駅、地下鉄谷町線、今里筋線の太子橋今市駅の1地番出口、電話080(2401)8080、メールnirumini.food@gmail.com、ホームページttp://www.you.gr.jp/nilmini/



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