澪標 ―みおつくし―

わが子の本名宣言

金 美優
元民族講師・ソプラノ歌手・薬剤師
2018年10月5日

 「韓国人、韓国へ帰れ」−。3歳の末っ子の男の子が幼稚園でクラスメートから言われ、泣きべそをかきながら帰ってきた。いたいけな子どもが、韓国人と揶揄(やゆ)することが相手にダメージを与える言葉であることを知っていることに驚く。どこで覚えたのであろう? 家庭でそのような事が言われていたのだろうか?

 長女は幼稚園、小学校で夫の通名を使っていた。しかし、次女と長男が幼稚園入園時に、思い切って3人に本名を名乗らせる決意をした。案の定、私の周囲に賛意を示す人はいなかった。人々は幼い子どもにつらい経験をさせるに違いないと心配した。しかし、韓国人であることを隠して、いつバレるかとヒヤヒヤしながら生きている同胞も少なくない中、子どもたちが通名を使うことにより消極的な生き方をし、自らの持てる能力を開花させられない人生を送ることになるのを憂慮した。

 もちろん、通名を使いながら韓国人であることをオープンにしている人もいる。しかし、通名を使えば、すぐに韓国人であることは分からず、日本人に思われたりすることが多い。いちいちそれを告げるのは面倒でもある。

 ある時、今で言うママ友が、私を日本人と思い、韓国人の悪口を話し出した。彼女がひとしきり話した後、「私、韓国人ですけど」と言うと、彼女は赤面した。気まずい空気が流れた。本名を使っていれば、そんなことは起こらなかったことであるが。

 同質性傾向の強い日本では、出自が違うということでのけ者にされたり、いじめの対象になりやすい。在日の中には差別を避けるため、できるだけ属性を隠し、周りの日本人に融和しようとする人がいる。日本人のふりをすることで日本人に受け入れられようと涙ぐましい努力をする。しかし、出自を隠し自らを偽って生きていけば、やがて自分自身を見失う。韓国・朝鮮人としてオープンに生きるという人として当たり前のことが、この社会では、こんなにも難しいのか、と呻吟(しんぎん)した。

 周囲の反対にもかかわらず私は、夫の賛意を得て清水の舞台から飛び降りるような気持ちで子どもたちに本名を名乗らせることにした。小学校や幼稚園で、子どもたちは本名で呼ばれるようになった。なんだか胸のつかえが下りるようだった。

 1970年代の終わりごろ、私は韓国・朝鮮人がたくさん住んでいる大阪市生野区の御幸森小学校にある市外協(大阪市外国人協議会)の事務局を訪ねた。事務局長の杉谷先生や扇田先生が、本名を名乗るに際しての注意点を教えてくださった。彼らは子どもたちに、ただ本名を名乗らせるだけでは子どもの負担が大きい。学校がそのための取り組みをすることが必要であると言った。

 扇田先生が長女の通う大阪市立聖和小学校へ指導にきてくださった。私も『サラム』(韓国語で「人間」という意味で、同和教育の『人間』の韓国版とでもいうべき教科書)を40冊購入し、学校へ寄付した。『サラム』には韓国・朝鮮語や歴史、文化、韓国・朝鮮の音楽が載っている。「どうかこれを使って韓国・朝鮮への理解を深める授業をして下さい」と担任にお願いした。

 このようにしてわが家の子どもたちの本名使用の取り組みが地域の小学校でスタートした。その後、教育委員会の指導のもと、聖和小学校では韓国・朝鮮理解の教育が行われた。数年後、韓国から教育視察団が来日し、たまたま、聖和小学校を訪れた。韓国の先生方が校内を歩いていると、「ムグンファ ムグンファ ウリナラコッ サムチョルリ カンサネ ウリナラコッ」(木槿(ムクゲ)の花よ 木槿の花よ わが国の花 三千里 山川の わが国の花)と韓国の歌がある教室から聞こえてきた。韓国では誰でも知っている童謡だが、日本の学校で歌われていることに、一同びっくりし、大阪市の小学校の韓国理解の教育の取り組みに大変感心したと、後日聞いた。

 (キム・ミユウ、大阪市天王寺区)