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月形半平太役
の沢田正二郎

 
なにわ人物伝 −光彩を放つ−


沢田正二郎 ―さわだ しょうじろう―  

大阪"第2の故郷"と感謝 
2006/10/14

三善 貞司

 沢田正二郎は「新国劇」の創始者。同劇団が苦難のどん底にあったとき、大阪弁天座の「月形半平太」が大当たり。これで世に出たから彼は生涯大阪を第二の故郷だと感謝している。

 正二郎は明治二十五(一八九二)年生まれ。文学を志し早稲田大学英文科に入学するが、ここで教授坪内逍遥に感化され、逍遥の演劇研究所で学び、島村抱月・松井須磨子の「芸術座」に加わり、新劇俳優としてスタートした。しかし女王といわれた須磨子の横暴さに反発し、大正六(一九一七)年脱退、妻の渡瀬淳子や親友の倉橋仙太郎ら十一人で新国劇を結成する。

 旗揚げ興行は新富座、熱演したが彼の面倒な理屈ばかりの思想劇に観客はついていけず大失敗。地方巡業に出ても不入りで莫大(ばくだい)な赤字を抱えて大阪に来た。

 「ぼくは神の子だ。ぼくがやらねば日本に新しい劇は生まれない。神から背負わされた使命を果たさねばならぬ」

 文無しのくせに真顔でこういうから、親しい友人でさえ辟易(へきえき)する。妻の淳子は元「大阪日日新聞」の女性記者である。

 「婦人記者を入れる。お前ら手出したら許さんぞ」、社長の吉弘白眼はこういいながら新入社員の彼女の机の周りに、大きい木製の柵を置いた。白眼は大阪財界の巨頭岩下清周の背任事件にかみつき、仲裁・弾圧に一歩も引かなかった硬骨漢である。

 かわいがっていた淳子に泣きつかれた白眼は、「大物がバックにおらんとあかん」と興行界の大物松竹の白井松次郎(本連載二十九・三十回参照)を紹介してくれる。松次郎は夫妻の話をじっくり聞いた後、「思い切って通俗的な芝居をやりなさい。人気さえつかめばキミのいう文芸劇も必ず受ける。まずホンが大事や」と、松竹文芸部のライター行友李風を貸してくれる。李風は泉鏡花ばりの名文を書き、殺人事件を扱うと脚本から妖気が漂い、血の匂(にお)いがするとまでいわれた男だ。

 「お前さん、なにがやりたい」、ぶっきらぼうにこう言われた正二郎は、とっさに「タテ(殺陣=格闘場面)をやりたい。派手な、イキのいいマゲモノ、お願いします」と言ってしまう。実は昨夜、道頓堀の飲み屋で十数人の大げんかを目撃し、肝をつぶしたのを思い出しただけである。

 「よしよし。そんなら幕末がええ」。李風は頭をひねって筑前の月形専蔵と土佐の武市半平太をつなぎ合わせ、「月形半平太」なる人物をつくり出した。いずれも勤皇派の剣客である。さらに歌舞伎では吉原でバカにされるヤボったい田舎侍の髪形「出島」のかつらをかぶせ、ハンサムを自任していた正二郎の目を白黒させる。ついでにもう一つ、有名な「春雨じゃ、濡(ぬ)れていこう」のせりふに触れておくと、あれは李風が大好きな端唄(はうた)の「春雨」をもじっただけである。

 松次郎はこの無名の青年に「弁天座」を用意してくれた。筋の面白さとめまぐるしい変化、それにやがて新国劇のお家芸となる超派手な立ち回りが受けに受ける。客席は大衆席から埋まっていく。切符売り場に柵を設け、交通巡査が整理に当たったという。時に大正八(一九一九)年六月、二十七歳であった。

 松次郎のアドバイスは的中する。同十年東京に戻った正二郎・淳子夫妻は、明治座で菊池寛の「父帰る」「屋上の狂人」、山本有三の「嬰児(えいじ)殺し」といった文芸路線に転じる。もちろん客席の要望で「月形半平太」も挟んだが、文芸物も素晴らしい演技力で喝采(かっさい)を博した。座員に金井謹之助、中村哲、久松喜世子らがいたのも大きい。

 新国劇が国民的な演劇集団として爆発的な人気が定着したのは、やはり行友李風作の「国定忠治」だ。ばくち打ちだった忠治が悪代官をこらしめたり、天保の飢饉(ききん)で苦しんだ国定村に米俵を運んだり、生きるため娘を売った代金を奪った強欲な親分に仕返しする任侠(にんきょう)のヒーローに仕立てて空前の大当たり、「赤城の山も今宵かぎり」の名せりふは、幼児までもが物まねした。歌舞伎や新派のいいところばかり取り入れた正二郎の演技力も、見事だった。昭和四(一九二九)年三月、新橋演舞場に出演中倒れ、三十七歳で他界する。

 中之島公園(北区中之島)に柳が多いのは、大阪市民に感謝して正二郎が柳の木を植えたのが起こりである。もちろん小野道風が若いころ何度もあきらめずに柳に飛びつく蛙(かえる)を見て、失敗にこりず努力の大切さを学んだという伝承「柳蛙」の心意気を形にしたもので、今でも俗に「沢正柳」と呼ばれている。



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