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| 『仁風便覧』の表紙 |
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| 施行者名が並ぶ『仁風便覧』 |
小説の題材を江戸時代の事蹟(じせき)に求めた鴎外は、考証のため「武鑑」を蒐集(しゅうしゅう)したが、江戸時代の弘前の医者が自分と同じく武鑑を蒐集していたことに親しみを覚え、史伝「渋江抽斉」を書いた。大阪では「難波丸」「難波丸綱目」がこの類の資料で、地誌としても名所案内としても役立つが、商人に特化したものが本欄第7回で紹介した「商人買物独(ひとり)案内」である。
来阪する仕入れ客が便利なように業種別、イロハ順に商工業者を記載した「江戸時代のタウンページ」は、同種のものが明治時代まで発刊されたが、掲載料負担が掲載条件と推察でき、「武鑑」と違って掲載情報の偏りは否めない。
今回紹介する「仁風便覧(じんふうべんらん)」は、天保の大飢饉(ききん)に際しての大阪他兵庫の一部の施行(せぎょう)者名を町ごとに一覧にした本である。何を商う、どんな人物かは分からないが、掲載人数は9600余名、単純に比較すれば「独案内」の2000軒を優に超える。
天保の飢饉(天保4〜7年)では大阪も大打撃を受けたが、豪商たちが救民のため施行を行った。施行者やその額、内容を記した1枚刷りの番付が出版され、誰がどれくらい御救に貢献したのかが一目瞭然となった。
この「仁風便覧」は、天保8(1837)年8月、大塩の乱後に出版されたが、実は天保5年の施行の記録を幕府の意向によって出版したもので、施行者名を公開して施行を奨励することを意図した。施行者には無料かと思いきや、価格は銀八匁(もんめ)と町触れにある。
天保8年2月、大塩平八郎は天保の飢饉での幕府の救民対策の不十分さ、上方米の江戸廻送(かいそう)を批判して武力蜂起した。大阪の豪商が施行に消極的なことも非難した。大塩の乱で大阪三郷の5分の1が焼けたが、その町も天保5年に施行している。数多く出た施行番付も大塩にはアピールしなかったのか。
大塩焼け(火災)で焼け出された人のため御救い小屋が造られ、町人が施行し、また番付が出版された。天保8年の施行については「仁風便覧」中に予告があるが、同様の本は出版されなかった。
(大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)










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