とっとりの鉄道120年 第1部 鉄道建設史 (2)鳥取県の鉄道建設の決定

鳥取県の鉄道建設が決まったのは1894(明治27)年6月、「姫路-鳥取-境(現在の境港)」間を結ぶものであった。なぜ、このルートが選ばれたのだろうか。その理由を伝えるのが、前年2月の第1回鉄道会議での谷干城(たに・かんじょう、高知県出身、陸軍中将、貴族院議員)の次の主張である。

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