澪標 ―みおつくし―

不協和音はノイズではなく

呉 多美
ピアニスト
オンガージュサロン主宰
2019年10月21日

 指先にべっとりとついた黒いインクは、まるで悪戯(いたずら)でもしたかのように見える。韓国に留学していた時、ビザ延長のためにソウル市汝矣島(ヨイド)の入管で10本の指紋を取られた。日本では在日コリアンの指紋押捺(なつ)拒否運動がなされていたが、確かにこの屈辱感は他にないだろうなと思った。

 その時ふと、大学の講義風景が目に浮かんだ。特別講義の教授として車いすで入ってきたのは作曲家・尹伊桑(ユンイサン)(1917〜1995)だった。私はあらかじめ、彼の人生と作品について対話形式で書かれた『傷ついた龍』(尹伊桑、ルイーゼ・リンザー共著/未来社)を読んでいたので、彼が1967年に居住地の西ベルリンから当時の軍事独裁者・朴正煕(パクチョンヒ)が率いるKCIAに拉致、韓国へ強制送還、過酷な拷問を受け、スパイ容疑で死刑判決を受けたこと、いわゆる「東ベルリン事件」のことは知っていたが、国家権力が芸術家やその創作意欲、作品にどれほど深い爪痕を残したかはまだ想像できていなかった。

 もちろん講義ではそのような政治的な話は一切なく、純粋に音楽について、つまり自身の「主要音技法」について流ちょうな日本語で話された。なぜアジア人の私がピアノという西洋楽器で自己表現しようとしているのかを悩んでいた時期だったので、東洋的な精神が西洋音楽の言語で見事に具現されている一連の作品を聴いて、一条の光を見る思いがした。そして、私は彼の音楽を研究しようと韓国への留学を決めた。しかし、韓国では彼の音楽は政治色の濃い作品と見られていて楽譜や文献もほぼなかったので、ドイツに行って修士論文を書き上げることになった。

 私は在日コリアンではあるが、生まれながらの日本国籍保有者である。母方の祖母が日本人で、諸事情により私は祖母の日本国籍を引き継ぐことになった。そういうわけで冒頭のように韓国籍の在日コリアンには必要のないビザを取らなければならなかった。そして、その少し前に私は大阪家庭裁判所に「氏変更の申し立て」を行った。

 私の場合、「呉」という韓国名が通名であり、戸籍名は「神野」という公的機関以外で使ったことのない日本名だった。結婚や家族の帰化などの諸事情により日本の姓になったが、再び民族名を取り戻したいと願う日本籍朝鮮人たちが1987年に「民族名を取り戻す会」として申し立てを行って姓の変更が認められたことを知り、私も同じように家裁に申し立てを行い、正式に現在の名前となった。帰化して日本の姓を名乗る日本籍朝鮮人が多い在日コリアン社会の中で、私は少数者・異質者であった。「内側」にいる安心感は日本でも韓国でもドイツでも、在日コリアン社会でも感じたことはない。

 異質な者から社会を見ると違った側面が見え、別の音が聞こえてくる。昨今、あいちトリエンナーレでの少女像の展示問題が取り沙汰されていたが、権力がいかにたやすく芸術に介入して弾圧するかは明らかである。社会が推し進むべき方向性を持っている時、異質なものは排除すべきものとして扱われ、不協和音はノイズとして取り除かれる。排除の対象を作品や芸術家にフォーカスしているうちはまだいいのかもしれない。絵本『茶色の朝』(フランク・パヴロフ著)のように市民に焦点が絞られた時、「内側」という幻想は崩れるだろう。

 (大阪市天王寺区、オオ・タミ)



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