ありがとう、さようなら わが礎の大阪日日新聞

 夏の訪れを感じる季節の頃、歴代の御担当者がそろって事務所に来られた。その神妙な面持ちから瞬時に「あっ、連載が終わる…」と予感した。結果、見事に的中したものの媒体とともにゴールテープを切るのは想定外だった。

 サラリーマン時代、芸能プロダクションで広報をしていた私は記者会見を取り仕切っていた。各メディアに対してリリースを発信し、お越しになられる新聞記者の方を見ては「かっこいいな」と憧れを抱くようになった。離職の際、なじみの広告代理店やTV制作会社から誘いはあったが、文筆をなりわいに大阪で独立することにした。そんな時、以前からお付き合いのあった本紙より「コラムを書いてみませんか?」とお話を頂いた。

 忘れもしない2008年12月2日、その日は早朝に起床しコンビニにある新聞を全て購入した。気持ちが高ぶる中、紙面を開くと『澪標(みおつくし) 岡力 コラムニスト』と掲載してあった。あの日から今日に至るまで『大阪ロマン紀行』『のぞき見雑記帳』とタイトルを変更しながら15年の月日が流れた。

 「大阪の裏ネタ」を記事で紹介したところ「このネタ使わせて…」とテレビ、ラジオ局から依頼が殺到し情報を提供することで放送作家として職業を確立していった。またオーナー企業の精神を紹介したところ「大阪の経済学」をテーマに大学講師やワイドショーのコメンテーターとして仕事が入るようになった。パソコンが普及していない時代から自分の足で稼いだ話の「タネ」は大阪日日新聞でひっくり返って「ネタ」となりあちらこちらで「花」を咲かせた。まさに「紙(し)」であり「師(し)」と言える存在である。

 連載は終了するが培った精神は私の中で生き続ける。これからも路地をはうアリのように街を歩きネタを探し続けたい。長きにわたるご愛読ありがとうございました。

(コラムニスト)

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