岡力の「のぞき見雑記帳」

力餅食堂のヒミツに迫る

2018年12月17日

明治時代から継がれる伝統ののれん

昔の加盟店舗チラシ。強い結束が感じられる

 関西の街角できねが交錯するロゴの飲食店を見かけるととっさに入店する。どこも「力餅食堂」と同じ名称だが、メニューやサービスが異なる事に疑問を感じていた。よく友人から推しの「力餅あるある」を聞くも共感できず、時には中華系の料理店を指す場合もあった。実は、それぞれのお店に資本関係はなくチェーン店でもない。

 明治22年、「力餅食堂」は豊岡市で饅頭(まんじゅう)店として創業する。その後、同28年には「勝利饅頭」と改名し京都六角に開店した。現在の店名は、創業者である池口力造翁の「力」と商品である「餅」を合わせた事に由来する。大正時代に入ると麺、丼物を提供するようになり食堂スタイルが確立。昭和63年全盛期には180店舗まで拡大した。

 最大の特徴は「のれん分け制度」だ。のれんを掲げて独立するには従業員として8年以上の修業が必要となる。開業後、メニューやサービスに決まりはなく上下関係もない。ただ力餅連合会(現在、会員は73人)に属し資金援助、店探し、結婚相談といった助け合いがある。また地縁・血縁を頼りに就職した事から店主は、創業の地である但馬の人間が多い。余談だが京都には「餅」が店名に付く「餅系食堂」が数多くある。その店主もまた但馬出身者である事から派生が考えられる。

 近年、この唯一無二と言われる経営システムを「同郷ネットワーク」や「ボランタリー・チェーン」の観点から研究する学者もいる。昔から但馬人は我慢強いと言われてきた。そのタフさが独歩の飲食店経営者に向いているのかもしれない。

 この古くから紡いできた素晴らしい伝統文化をこれからも応援していきたい。次回は、幼少期に通った思い出の「力餅食堂」を紹介します。

(コラムニスト)
 ■取材協力・情報提供 小林正司さん(相川力餅食堂)