大砲づくりに思いはせ 六尾反射炉跡 試掘調査の現地説明会

 北栄町は、発掘調査を行った同町六尾の六尾反射炉跡の現地説明会を開いた。担当者は、水車を回した水路跡の深さが3メートル以上あったため、水車の直径が6メートルはあると予測できることや、周辺は盛り土などが施され、大規模な造成作業が行われていることが分かったなどと解説。見学者は同反射炉の構造と技術の高さを知り、当時の大砲づくりに思いをはせた。

 同反射炉は1857(安政4)年、外国船を撃つために鳥取藩に命じられて大庄屋・武信佐五右衛門らが建造した大砲製造所。ここで製造した大砲の性能は優秀とされ、鳥取藩の各台場や大阪、岡山などにも配置されたが、時代の流れでわずか5年で取り壊された。

 建設で借金を抱えた武信家は衰退し、台場や反射炉に関する資料はほとんど残されていない。反射炉があった場所の一部民家が撤去をされたのを機に、町が2020、21年に試掘調査を行い、水車小屋跡に幅6・9メートル、深さ1・8メートル以上の水路跡を確認した。

 本年度は6月から拡張して試掘し、水路の規模や底面の形状を調査。水路跡は標高4・2メートル以上造成された後も掘り込まれており、底面付近は安山岩を細かく割った石材で埋められていることが分かった。大量の瓦や耐火れんが片なども出土した。

 同反射炉の一般向け現地説明会は初めて。約20人が参加し、牧本哲雄町文化財専門員が解説した。近くの時枝義博さん(75)は「曽祖父が反射炉に関わっており、興味があった。当時の一端を見ることができた」と感慨深そうだった。

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