衝撃と爆発音。目覚めると逃げ込んだはずの森はなく、青空が広がっていた

31の小さな命が散った「頓田の森の悲劇」、姉を亡くし自らは生き延びた男性の戦後80年

  •  80年前、米軍の爆撃で児童31人が犠牲となった福岡県朝倉市頓田地区。かつて森だった場所は現在は整備され公園になっている=2025年3月21日
  •  80年前、米軍の爆撃で児童31人が犠牲となった福岡県朝倉市頓田地区。かつて森だった場所は現在は整備され公園になっている=2025年3月21日
  •  取材に応じる窪山強一さん=2025年3月21日、福岡県朝倉市
  •  「頓田の森の悲劇」の起きた場所に整備された公園に供えられた折り鶴=2025年3月27日午前、福岡県朝倉市
  •  「頓田の森の悲劇」から80年となり、慰霊祭を前に地蔵に手を合わせる人たち=2025年3月27日午前、福岡県朝倉市

 爆撃を逃れようと、先生はみんなを連れて近くの森に逃げ込んだ。耳をふさぎ、大木を囲むようにして伏せる子どもたち。直後、強い衝撃とともに爆発音がとどろき、当時8歳だった窪山強一さんは気を失った。目が覚め...

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