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真田幸村 終えんの地に座像 ゆかりの新名所に

2009年12月15日

 「大坂の陣」で豊臣方として奮戦した信州上田の武将・真田信繁(幸村)戦死の地、大阪市天王寺区逢阪1丁目の安居神社(中島一熈宮司)境内に幸村像が安置され、17日に除幕式が執り行われる。「悲運の武将」の生きざまに、もともと“幸村ファン”は多いが、歴史好きの女性「歴女」の言葉も生まれた昨今の戦国武将ブームのさなか、幸村ゆかりの新名所となりそうだ。

ミニチュア幸村像を手に「多くの参拝者にご覧いただきたい」と話す中島宮司(安居神社境内で)=大阪市天王寺区

 真田幸村は1615(慶長20)年5月、「大坂夏の陣」で、徳川家康の陣に突撃して傷つき、同神社境内の一本松の下にいたところを狙われて戦死したとされる。境内には、太平洋戦争の戦災で焼失した社殿を復興した1951年春、幸村の一本松にちなんで植樹した「さなだ松」や石碑「真田幸村戦死跡之碑」があり、毎年5月に慰霊祭「幸村祭」を斎行、交流がある長野県上田市の関係者やファンなど大勢の参拝者で例年にぎわう。

 2003年の幸村祭で「幸村公のお姿があれば−」と、漠然としながらも長年の思いを語った中島宮司。具体的には2年後に看板を掲げて基金活動に取り組んだ。当初はレリーフ銅板という案もあったが、「せっかくなら立体像を」と、計画を進め、知人の紹介で大阪の彫刻家・播間公次さんに制作を依頼した。

 デザインは武具研究家の考証を得るなど綿密な打ち合わせを交えた末、刀を置き、かぶとを脱いだ姿の座像(高さ約90センチ)に決定。今年の幸村祭で同形のミニチュア像が公開された。

 像の位置は、大阪城や上田市のほか、真田昌幸・幸村親子隠せいの地、和歌山県九度山に向いた方角などいろいろな案があったが、石碑の左横に、みかげ石の台座を設置した。中島宮司は「勇ましい姿ではないが、『これで戦いが終わった』という、最後の地となった神社の静かな境内にふさわしい安らかなイメージ。長年の願いが具体化され、より多くの方にご参拝いただければうれしい」と話している。