【相談】昨年、夫が亡くなり、独り暮らしになりましたが、仏壇に向かうと心が少しくつろぎます。でも、ふと思うのです。私はいったい何に手を合わせているのかと。私は、あの世とか魂といった類いのことが、全く信じられません。夫は死んで、その存在はなくなってしまったのだと理解しています。ドーナツの穴を食べることができないように「ない存在」に意識を向けようとすると、あやふやで落ち着かないのです。科学者の養老先生もあの世の存在を信じていないと思うのですが、ご家族の法要の際、何に向かって手を合わせているのでしょうか? 「ない」ことを知覚するとは、どういうことなのでしょうか?(59歳 女性 会社員 東京都)
【養老孟司先生の回答】
あなたはどうやら確かなものを求めるタイプのようです。手を合わせる対象に実体がないと、つい不安になるのでしょうね。
▽確実なものはない
若い人ほど確実なものを求めようとしますが、その方が安心なんでしょう。でも私は実体があるかどうかにかかわらず、そもそも世の中に確実なものはないと思っています。なぜなら全ては、受け手側の問題だと思うからです。目の前に物があったとしても、五感で捉えてい...