鳥取県大山町。霊峰・大山のすそ野に位置する中山地区を車で走っていると、田植えが終わった田んぼの水が夕日に光り輝いている。神々しい光景だった。
今年ほど、田植えが待ち遠しいことはない。恵みの雨が降り、農業法人に委託耕作してもらっている筆者の田も、いよいよ代かき、田植えとなる。
当たり前に食べてきたコメ。不足や価格高騰が叫ばれるが、生産者の苦労があってこそ、口にできる。その感謝を忘れないようにしたい。
前回のアーカイブは、営業終了した倉吉市のボウリング場を例に、「失って初めて気付く『身近にあることのありがたさ』」と書いた。
あって当たり前となっているが、そこにはさまざまな経営努力がある。無くなって残念となるが、その時はもう遅いのである。
旧国鉄倉吉線は1985年4月に廃止された。方針決定の後、地元は「乗って残そう」を掛け声に運動を展開した。しかし、72年の歴史に幕を閉じる。その後、中心市街地の活力は失せていった。
当時、存続運動に参加した市民が振り返った。倉吉線の駅で〝集会〟があったが、「そこまで車で行く人がいるのだからな」。確かに車のほうが便利だ。しかし、自分が…という気持ちも大切だ。
コロナ禍のとき、市内の飲食店は大打撃を受けた。客が来なくて閉める店舗も。その中で、毎日のように足を運ぶ経済人がいた。理由を聞くと、「口でああだこうだ言うより、まず自分が行動し、少しでも協力したい」と。店主らは心意気に感謝していた。
倉吉信用金庫は以前から、「地賛地商」を掲げる。血液のように地域にお金が循環し〝健康体〟となるようにする。地場の金融機関として素晴らしいことだと思う。
筆者もかつて、欲しい商品があり、たぶん倉吉にはないだろうと思いながらも、市内の小売店を数店回ったことがある。結局無くて、圏域外の大型店で購入したのだが、すがすがしい気持ちもあった。
最近、主婦から倉吉市内にドーナツのチェーン店が無くなって困る、と聞いた。子どもがいる家庭への手土産にちょうど良かったという。そう考えると、失って気付くはいろいろあるものだと思う。
このアーカイブでも、倉吉から映画館の灯が消えた時期があったことを書いた。そのことを思うと、身近にあることは喜びでもある。
施設の集客は一般的に最初はにぎわうが、徐々に…であろう。それが世の常と言われればそうだが、いまあるものを当たり前と思わずに大事にしたい。そういう気持ちの〝集合〟が、まちを血の通うものにしていくのだと考える。
琴浦町の赤碕に日本海を見下ろす通称「タコ公園」がある。いつ行っても子どもたちの歓声が上がっている。見た目は遊具を備えた広場だが、シンボルの真っ赤なタコが吸盤のように親子を引き付ける。鳥取県では珍しい現象であろう。
これも、大切に残したい〝遊び場〟である。