海に眠る“悲劇”知って 琴浦で資料展示と講演会 美保関沖事件

 琴浦町自衛隊友の会は、同町沖で発見された船体などが旧日本海軍の艦艇同士の多重衝突事故「美保関沖事件」で沈没した駆逐艦「蕨(わらび)」だと断定されたことを受け、歴史的事実を広く知ってもらおうと町内で資料展示と講演会を開く。事件では119人が死亡し、見つかった遺体は5体のみ。今も多くの遺体が日本海に眠る。事件に詳しい男性は「96年前、なぜ事故が起きたのか。私たちは何を学ぶべきなのか」と訴える。

 事件は1927年8月、島根県の美保関沖の北東約37キロで発生。翌28年、地元有志らは境港市の台場公園に慰霊塔を建立し、慰霊の会を結成して毎年、供養を行っている。

 慰霊の会は調査チームをつくりマルチビームソナーや水中ドローンなどで調べた結果、2020年9月に琴浦町篦津沖約19キロの海底に沈んでいる船体を「蕨」と断定した。

 同町篦津の伯耆稲荷神社の河合鎮徳宮司(71)は約15年前、事件について書かれた書籍と出合ったことがきっかけで関心を持ち、慰霊の会のメンバーらとつながり「蕨」について調べてきた。河合さんによると、事件後に境港市や赤碕町(現琴浦町)など沿岸の漁協関係者らも捜索に協力したという。

 資料展示は20~26日、琴浦町のまなびタウンとうはくで開催。事故の様子を伝える当時の新聞や犠牲者の写真、艦艇プラモデルなどを展示する。最終日は講演会(午後1時~)もあり、河合宮司、大原歳之さん、大原圭太郎さんが当時の時代背景、水中文化遺産の視点、3次元モデルによる記録の保存について語る。

 河合宮司は、美保関事件を知るためには日露戦争を検証する必要があるといい「軍縮による猛訓練が生んだ悲劇。119柱が実は琴浦町沖に眠ることを深く知り、これからの日本の平和を考えていきたい」と話した。

ミニクリップ

 美保関沖事件 1927(昭和2)年8月24日深夜、連合艦隊63隻が美保関沖の日本海で、無灯火の夜間演習中に発生した衝突事故。軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨(わらび)」、軽巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦(あし)」がそれぞれ衝突した。蕨は船体が真っ二つに裂けて沈没、葦は大破する大惨事で、乗組員ら119人が死亡した。当時はしけで月明かりもなかった。

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