開戦当時、鳥取市の日進小2年生だった大沢綾子さん(90)=同市末広温泉町=は、真珠湾攻撃のあった1941年12月8日、「日本が大勝利」と教師たちが騒いでいたことを覚えている。しかし、戦況の悪化とともに、市民生活は次第に戦禍の色がにじむ。塗炭の苦しみを味わった戦時下の暮らしは子どもたちの目にどう映ったのか。
「今から思うと変なことばかりだけれど」と大沢さんは切り出した。4年生で始まったプールの授業は、5年生になると千代川での水浴びに。プールは地域の巨大な防火槽になった。ノートの配給は学級に2冊だけ。とにかく紙がない。新聞の余白を使ったり、校庭の軟らかい土の上に棒で文字を書いたりして文字を練習した。「戦争は兵隊さんがするものだと思っていたが、自分たちも大変な目に遭うんだ」と感じた。