ガザにいるぼくが見た半年のこと

おじは息子を失った。でも遺体も遺品もない。おじは嘆く「死をどう確認すればよいのか」

  •  栄養不足でやせ細った5歳の女児=1月11日、ガザ中部デールバラハ
  •  アルアクサ殉教者病院の遺体を清める部屋に置かれた赤ちゃんの遺体(奥)=2024年12月、ガザ中部デールバラハ
  •  ガザ中部デールバラハの中心部にある墓地=2024年12月
  •  停戦合意に基づきイスラエル軍が南北を分断していた道路の一部を開放し、避難先から住民が戻ったガザ北部。多くの建物はがれきとなり、街は面影もない=2025年1月28日、ガザ市
  •  ガザ北部へ帰還しようと、道路の開放を待つ子どもたち。2晩過ごしたという=2025年1月27日、ガザ中部ヌセイラト郊外

 パレスチナ自治区ガザでは、イスラエル軍による攻撃が再開し、毎日犠牲者が出ている。ぼくが家族と避難生活を送る中部デールバラハの「人道地区」周辺でも、イスラエル軍が攻撃を予告する退避通告が出た。2023...

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