差別を恐れ、半世紀言い出せなかった―医師と司法が新潟水俣病だと認めても、行政は患者と認めない

「公式確認」から60年、2度の「政治解決」経ても見えない被害全容

  •  阿賀野川沿いで当時の様子を語る皆川栄一さん=2025年4月、新潟県阿賀町
  •  新潟水俣病認定患者の分布
  •  手足のしびれなどの症状を話す皆川栄一さん=2025年4月、新潟県阿賀町
  •  新潟水俣病判決を受け、記者会見する原告団長の皆川栄一さん(中央)ら=2024年4月18日、新潟市
  •  新潟水俣病の原因となった旧昭和電工鹿瀬工場=1971年9月、新潟県鹿瀬町(現阿賀町)

 「弟たちは成人前、姉も嫁入り前だった。家族全員が路頭に迷うと考えると、水俣病だとは言い出せなかった」

 新潟市で日本海に注ぎ込む阿賀野川。その上流域・新潟県阿賀町で生まれ育った皆川栄一さん(81)が、...

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