県が撤去した朝鮮人労働者追悼碑は「加害の歴史」伝えるシンボルだった

「群馬の森」なくなっても続く活動【戦後80年連載・向き合う負の歴史(1)】

  •  戦時中に朝鮮人が建設工事に動員された中島飛行機の地下工場跡地を案内する川口正昭さん(中央)=2024年11月、群馬県みなかみ町
  •  「記憶 反省 そして友好」と刻まれた朝鮮人労働者追悼碑。2024年2月に撤去された=2021年8月
  •  戦争末期に朝鮮人が動員された「群馬鉄山」があった「チャツボミゴケ公園」で解説する川口正昭さん=2024年11月、群馬県中之条町
  •  県立公園「群馬の森」の朝鮮人労働者追悼碑の跡地に立つ川口正昭さん=2月、群馬県高崎市
  •  関係各地の地図

 日本軍「慰安婦」、南京大虐殺、朝鮮人強制動員、沖縄戦「集団自決」…。戦後80年となり生き証人が少なくなる中、「負の歴史」「加害の過去」を否定したり矮小(わいしょう)化したりする言説が増えている。共同...

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